題名 :『人情紙風船』

登録日時 :03/09/15 18:00

1937年 P.C.L./東宝 監督:山中貞雄 モノクロ 86分

山中貞雄の最後の監督作品。 とても暗い作品と言われることが多いが、私は少し違う感想を持つ。



貧乏長屋で年老いた浪人が自殺した。竹光では切腹できないので、武士なのに首吊りだった。長屋の住人達は大家(助高屋助蔵)に金を出させ、通夜にかこつけて飲めや唄えやのドンチャン騒ぎで、日頃の憂さを晴らした。

その宴会に参加しなかった海野又十郎(河原崎長十郎)は病み上がりの浪人で、妻のおたき(山岸しづ江)と二人暮しをしていた。おたきは紙風船作りの内職で家計を支えていたが、口数の少ない陰気な女だった。 又十郎は亡父が生前に世話したことのある、毛利三左衛門(橘小三郎)に仕官の口を世話してもらおうとしていた。毛利はある藩で出世し、今は江戸詰めとなっている。しかし何度屋敷を訪ねても居留守を使って会ってくれないので、表で捕まえて父の手紙を渡そうとしたが受け取ってもらえず、「忙しいから明日屋敷に来い」と言われ、翌日屋敷に行くとまたも門前払い。毛利が入った商家・白子屋の店先で毛利が出てくるのを待っていると、白子屋が呼んだやくざ達に叩き出されてしまった。 明らかに毛利は又十郎を疎み、煩わしく思っている。士官の口利きをしてくれる可能性など、どう考えてもゼロ。それでも又十郎にとってはこれが唯一つの希望であり、それにすがる外に道はない。又十郎は必死に自分のプライドを押し殺し、毛利の機嫌を損ねてはならぬと無理に作り笑いをし、卑屈なまでに媚びへつらって毛利をつけまわした。そして妻には、順調に仕官の話が進んでいる、と嘘を言うのだった。

又十郎の隣家には、髪結の新吉(中村翫右衛門)が一人で住んでいた。新吉は個人で賭場を開いて、地元やくざの源七(市川笑太郎)一家ににらまれていた。ある夜、賭場の現場を源七の手下たちに踏み込まれ、とる物もとりあえず逃げ出した新吉は無一文になってしまった。新吉は、髪結の道具箱を質草にして金を借りようと白子屋を訪ねたが、番頭の忠七(瀬川菊之丞)にこんな物に一文の価値もない、と断られてしまう。その上、白子屋の娘、お駒(霧立のぼる)にまで「かわいそうだからいくらか貸してあげたら?」と、物乞いを見下すような調子で言われ、新吉のプライドはひどく傷ついた。お駒には現在、ある武家との縁談が持ち上がっている。当時、町人の娘が武家に嫁入りするときは、一旦他の武家の養女となり、そこから嫁ぐのが慣わしだった。養父役を引き受け、この縁談を進めているのが、又十郎を冷たくあしらい続ける毛利である。しかし、実はお駒は番頭の忠七とデキていた。

梅雨時の蒸し暑さが、人々の心の歪みを狂おしく拡大する。 そうして、豪雨の夜、起きるべくして事件が起きた。 新吉が、忠七と逢引中の小駒をさらってきてしまったのである。 同じ夜、又十郎は、毛利から「もう来るな!」と言い渡されてしまった。夜半に女の泣き声に気付いた又十郎は、新吉を訪ねて事情を聞き、あの毛利に一泡ふかせたい、と協力を申し出てお駒を自分の家に預かる。妻のおたきは、十条の姉を訪ねて不在だった。 翌朝、白子屋の依頼でやくざの源七一家が新吉のところにやってきたが、家捜ししても、娘の姿はみつからず、すごすご引き揚げて行った。「返してほしけりゃ、頭を丸めて出直してきやがれ!」と源七に啖呵を切って、新吉は大いに溜飲を下げた。日頃から自分を小物扱いして見下す源七に、新吉の屈辱感が積もっていたのだ。

結局、長屋の大家が仲介役を買って出て、50両と引き換えにお駒を帰し、このかどわかし事件は解決した。その50両を元手に、長屋の男たちは例によって宴会を開く。今回は又十郎も参加した。大家から「毛利という侍が青ざめて慌てふためいていた」と聞いた又十郎は、顔を歪め狂ったような大声を上げて笑う。そしてへべれけに酔ったが、妻が帰っているかもしれないからちょっと家の様子を見てくる、と宴会を抜け出した。

やはりおたきは帰っていて、昨夜の大雨で濡れた又十郎の着物を畳んでいた。上機嫌の又十郎は、父上の手紙は毛利様に渡したぞ、と嘘を言って眠ってしまった。しかし畳んでいる着物の袖から、その手紙が出てきたので、おたきは又十郎の嘘を知り、絶望する。そして刃物を手にし、眠りこける又十郎に無言で忍び寄る。

一方、新吉は源七に呼び出されて、人気のない町外れに行く。そこで待ち受けていた源七は、子分に手出しを禁じ一対一の勝負を挑んできた。本物のやくざとしての、また親分としてのメンツを保つため、無茶苦茶本気の源七親分は目つきからして違う。これは到底勝ち目がないな、と悟った新吉は、預かり物の傘の返却を源七の子分(加東大介)に託すと、諦め半分に源七に向き直った。

翌日、又十郎夫婦の心中死体が発見された。 長屋の脇のドブ川を、おたきの作った紙風船がひとつ、流れていく。(終)


どうだろう。 確かに暗鬱とした結末だ。しかし同時に男達が命がけでプライドを守った痛快な物語、という面も私には感じられる。「暗い映画」と思って見るとにぎやかな宴会シーンやコント部分までもブラック・ユーモアに見え、「明るい映画」と思って見るとイジメの場面まで躍動感のある活劇っぽく見えてくる。不思議だ。ロールシャッハ・テストのように、見る者の個人的な意識や価値観が、一種のフィルターとなって、感想という像を結ぶのかもしれない。

さらに言えば「明るい/暗い」という単純な評価軸なぞ遥かに超えたところで、山中貞雄は人間や人間社会を深く静謐にみつめ、ドラマを紡いで物語っているというその視点の妙こそが、この作品の見所だと思う。少なくとも世間でまかり通っているところの、「暗く悲しく美しい珠玉の作品」なぞという評価は、私には少し違うような気がする。 このような才能豊かな映画人が、若くして戦場に散った悲劇は、確かに惜しむべきことではあるが、、世間はそれを遺作と結び付けすぎなのではあるまいか。
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