題名 :『森の石松鬼より恐い』

登録日時 :04/05/05 00:24

1960年 東映 監督:沢島忠 カラー 96分

冒頭約20分の現代劇パートと、その後の時代劇パートから構成されており、お もな出演者は両方に別の役で出てくる。観客としては、現代劇パートのあの人 は、どんな役で時代劇パートに出てくるか、とワクワク。


若手の舞台演出家、石井(中村錦之助)は、3日後に迫った「森の石松」の公 演の演出がうまくいかず、悩んでいた。助手の岡田(丘さとみ)に当り散らし たり、劇場支配人(進藤英太郎)と口げんかになったり。

錦之助の現代人姿は『武士道残酷物語』で見たが、丘さとみは初めてだと思 う。髪形が日本髪でないと非常に顔が丸く見えて、丘さとみってこういう人 だったのか、とインパクト十分。

石井は若い自分たちがやるからには、「森の石松」を旧来とは違うものにした かったのだが、台本を書き直すにもアイデアが浮かばなかった。 銀座に出た彼は酒に酔いつぶれ、劇場に戻ってソファーで眠ってしまった。 ゴーゴー・クラブみたいのが出てきて、ケバイ照明の中、錦之助がバイクにま たがる。これが時代劇映画になっていく、アヴァンギャルドさ。

石井が目を覚ますと、そこは清水港だった。ドーンと富士山が見える。いか ん、早く新幹線こだまで東京に戻らなくては。石井は「汽車のキップをとって くれ、タクシーを呼んでくれ、時計を見せてくれ」などと言ったが、周りの 人々には通じなかった。それに自分に髷が付いていて、片目が開かない。彼は 森の石松になってしまっていたのである。

石井の見知った昭和の人々が、この世界ではみな別の役で、次々と出てくる。 舞台で石松を演じる役者(千秋実)はこの世界では、六助という次郎長一家の 一人であり、大政・小政の役者(中村時之介・片岡栄二郎)はそのまま大政・ 小政だった。演出助手の岡田は、おふみという石松の婚約者になっており、次 郎長親分は劇場の照明主任(山形勲)で、その妻・お蝶は掃除のおばちゃん (赤木春江)だった。 混乱した石井は奇行を繰り返し、みんなに取り押さえられ、座敷牢に押し込め られた。これは石松になって生きていくしかないなあ、と石井は覚悟した。

それなりに石松ぶりも板についてきた頃、おふみから清水に逗留中の都鳥の吉 兵衛たちが次郎長の悪口を言っていると聞き、石井がそこに乗り込んでみる と、吉兵衛はあの憎らしい劇場支配人だった。本人の顔を目の前にすると、つ い石井も素に戻ってしまい、あんたのせいで俺はこんなに苦労してんだぞ、芸 術家を侮辱するなあ、と思わず襲い掛かった石井は、吉兵衛一家にコテンパン にのされた。

次郎長は石松を心配して、おふみと二人で金毘羅参りをしてくるように言っ た。浪曲などでおなじみの石松の物語では、石松は金毘羅参りをした帰り、殺 されることになっている。それを知っている石井は断ろうと思ったが、おふみ が石井の話を一通り聞いて、二人でいけば筋書きも変わると説得したので、こ いつ俺の話を信じてないな、と気付きながらも、そのけなげさに感動して、石 井はお参りにいくことにした。

道中、二人の男が荷物を争ってケンカをしていた。須走りの多蔵(坂東蓑助) と伝法の佐吉(田中春夫)だったが、石井にとっては、劇場の守衛さんと毎月 集金に来る月賦屋さんだった。石井はなんだかよわっちいように見える月賦屋 さんの方を助けたのだが、佐吉は荷物の千両箱を伏見の母に届けてくれと書き 残して、姿をくらました。 千両箱はとても重かったが、母を知らぬ石松としては親孝行の疑似体験とし て、それに石井としてはこれで筋書きが変わってくれればという思いもあっ て、千両箱を担いで旅は続く。

石井は、今度はやくざに追われる旅の男(沢村宗之助)を大立ち回りの上、助 け出したが、男は死に、伜の芳太郎を預けられてしまった。襲ったやくざたち は、この男は賭場荒らしだと言ったが、そういえば昭和の時代ではこの男はダ フ屋をやっていた。なお、やくざたちのリーダー・手島の兼吉(加賀邦男)は チャンバラの殺陣師だった。もう、この辺になると石井はいちいち驚かない。

伏見で訪ねた佐吉の母は、すでに河内に引っ越していた。おふみの提案で子連 れの三人は船で大阪まで行くことにする。

船中では、江戸っ子が現れて「神田の生まれよぉ」などと言い出すこともな く、筋書きは変わりつつあったが、守衛さんや殺陣師の一行が千両箱を襲って きた。彼らに囚われていた月賦屋さんが、実はその金は守衛さんと二人で盗ん だものと打ち明けたので、裏切られていたと知った石井は、頭に来て、千両箱 を海に捨ててしまった。

無事お参りも済ませ、帰路も清水に近づいた。小松村で兄貴分の七五郎に会っ た後、閻魔堂で都鳥一家にだまし討ちにあって、石松は死ぬことになってい る。
おふみはこのまま七五郎さんに会わず、閻魔堂にも近づかなければ助かるの ね、と言ったが七五郎(鶴田浩二)が現れてしまって、三人を家に招く。昭和 では七五郎はチャンバラマニアで芝居好きのお寿司屋さんだった。仕事をほっ ぽり出して劇場に入り浸っていて、女房(大川恵子)にしょっちゅう叱られて いる。そしてお寿司屋のおかみさん(割烹着姿がいい!)が、この世界でもそ のまま七五郎の妻・お民になっていた。

お寿司屋さんは自分と妻の着物を金に換えて、石井に酒をふるまおうとした が、酒を買いに行って来たお民が、外の様子がおかしいというので、裸で確か めに出て行った。

子供が熱を出していることに石井とおふみは気付いた。すぐにも医者を呼びに 行かねば。下着姿のお民が言うには、医者のところには、閻魔堂の前を抜ける のが早いという。閻魔堂?!石井とおふみは顔を見合わせた。筋書きは変わっ ていなかったのか?

医者を背負っての帰り道、閻魔堂の前で、やはり石井の前に都鳥一家がわらわ らと現れた。石井の後を追ったおふみが人質になっていた。筋書き通りだっ た。しかし筋書きと違うところもあった。ここを生き延びておふみと二人で幸 せになるのだ、という決意が、石井を支えている。壮絶な立ち回りの最中、石 井は何度も何度もおふみの名を叫ぶ。私は少し泣きそうになった。しかし多勢 に無勢。敵の首領の支配人を倒しながらも、奮闘むなしく、石井は息絶えた。

石井が目覚めたのは、劇場のソファーの上だった。今や新しい石松物語の骨子 が彼の頭の中には完成していた。これをすぐにも具体的な舞台演出にしなけれ ばならない。助手の岡田をおふみちゃんと呼びながら、石井は彼女を連れてス テージに向かう。照明主任がスポットライトで照らしてくれた。興奮気味にい そいそと舞台上で石井は動き回り始めた。(完)


面白い。 現代劇部分の人間関係をそのまま時代劇に持ち込んだ、石井のトンチンカンぶ りが、とても笑える。 例えば、照明主任の山形勲は稽古しないんなら照明を切るぞ、と言う。演出家 として悩んでいる自分の胸中を理解してもらえない石井は、イライラして「電 気屋!」と罵る。「馬鹿は死ななきゃ直らねえ」と石松の台詞でまぜっかえす 照明主任。こういう掛け合いが演じられた後、時代劇部分では次郎長親分とし て山形勲が貫禄たっぷりに登場し、狂った石松を何とかしようと、井戸水を頭 からぶっかける。すると石松は、「何しやがんでぇ、この電気屋!」と井戸水 をかけ返す。びしょ濡れになった山形勲の、貫禄もどこへやらの呆けた表情。 こういうところが無茶苦茶笑える。同じ二人の「ケンカ」が、ふたつのバー ジョンで対比的に示されるアイデアは、よく考えているとも思う。

そういえばある意味、この映画は「今昔ケンカ論」みたいなところがあって、 現代劇部分でも時代劇部分でもいろいろなケンカが発生する。

現代のケンカはおおむね論理の応酬であり、口げんかである。 支配人は石井に作品のヒットを要求するが、石井はもっと宣伝するとか、経営 者らしい仕事をしろ、と言い返す。石井が「こんな古臭い脚本ではどうしよう もない」と不満を言うと、支配人は、「それを何とかするためにお前を呼んだ のだから、給料分の仕事をしろ」と言い返す。 石井は助手の岡田を「君も考えろ」と叱りつけるが、岡田は「考えましたけど ダメでした。ダメだから助手なんです。」と応える。確かにそこで素晴らしい アイデアが出せるようなら、助手の地位に甘んじてはいないだろう。

みんな口が達者で相手を封じ込める論理の形成能力が、発達している。 表面的には戯画的なコメディでありながら、映画界での会社と現場の責任押し 付け合いの風潮や、ひいては当時の日本社会全体の世相を反映しているのだろ うか。

その点、昔のケンカはわかり易い。 理屈よりも感情であり、言い合いよりも肉弾戦である。 腕力と負けん気の強い方が勝つ。口喧嘩のときは声の大きいほうが勝つ。

その対比ぶりを見ていると、この映画は、現代の頭デッカチな知識人である石 井が、石松として体を張ったケンカを繰り返すことで、人間本来の豊かな感性 と野生が目覚めていく物語、なのかもしれない。

時代劇映画の人気が衰える中、現代劇部分を取り入れることで、生き延びよう という時代劇キャスト・スタッフのあがき、という面も多少はあると思うが、 作り手たちの考える「時代劇の魅力」が結構雄弁に語られているように思っ た。 ま、そういう理屈なんかほっといても、十分に楽しめるけどね。

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