題名 :『秩父水滸伝 必殺剣』

登録日時 :02/06/21 23:47

1965年 日活 監督:野口晴康 原作:村松梢風 カラー 83分

10年ほど前になるが、近所の飲食店組合のバス・ツアーで秩父に行ったことがある。造り 酒屋の見学が主目的だったが、秩父地方がひとつの文化圏を形成しているという発見は 新鮮で強烈だった。だからこの映画の作り手たちが秩父にこだわっているのも、わかる 気がする。確かにあそこは特別な場所だ。




秩父は武術の盛んな土地柄で、いにしえより多くの流派があった。中でも双璧を成すのが小野派一刀流と甲源一刀流で、両派は毎年秩父神社で奉納仕合を行っていた。

明治十七年。 既に維新も遠い過去になったが、食い詰めた士族の中には、剣術を見世物にして、全国を 廻っている者達もいた。

秩父に興行に来たそういう一座の無謀な男が、地元の甲源一刀流・逸見道場に道場破りを仕掛けたが、相手が悪かった。相手をした道場の師範代・岡田伝七郎(二谷英明)は「鬼狼」の異名を取る男で、道場破りを半殺しにして追い返した。 剣劇士族達はほんとは弱いのだ、と風評が広まったら生活が成り立たない。一座の士族 達は翌日の興行で、客席にいる秩父の剣士を挑発して舞台に上げ、彼らと竹刀で立ち会い をして破り、汚名を晴らそうとした。次々と倒される、秩父剣士達。 客席でその様子を見ていた小野派一刀流・高野道場の若き剣士・早乙女玄吾(高橋英樹) は、他流試合を禁じられているにもかかわらず、我慢できずに面をつけて舞台に上がり、 剣劇士族たちを叩きのめす。十人抜きすれば勝ちなのだが、玄吾は九人までで竹刀を納 める。 その夜、剣劇一座の座長(佐野浅夫)から、なぜ十人抜きをしなかったのかと尋ねられ、 玄吾は答える。剣劇士族達には、なんとしても勝たねばならない、という必死な思いが感 じられ、自分にはその思いを踏みにじることが、とてもできなかった。22歳の玄吾、さわ やかな好青年だ。

頬に強い照明を当てると、ドーランの下ににきびが浮かび上がる。高橋英樹はなにしろ 若々しいが、眉毛は既に当時から吊り上がっている。 このさわやか剣士、玄吾を岡田伝七郎がライバルと付け狙って、何度も挑発してくるが、 玄吾は師匠の高野源三郎(芦田伸介)の教えの通り、相手にしなかった。伝七郎は人斬り の兄(深江章吾)の言葉、「俺より強い奴がいるのは許せない。それを斬り殺すのが楽しみ。」に触発さ れて、狂気の血をたぎらせる。

「秩父事件」が起きた。 玄吾の兄弟子で政治運動を行っていた田代栄助(垂水悟郎)が、リーダーに担ぎ出され大暴動を起こ した。暴動にはやくざや、逸見道場の門弟も参加した。 玄吾は懇意の商家・よろず屋の護衛にあたった。よろず屋の一人娘・おゆき(松原智恵子) は、ぎこちないながらも玄吾の恋人に近い存在だったが、以前から逸見道場の佐々木善一 郎(杉江弘)にしつこく言い寄られて、困っていた。果たしておゆきにフラれて逆上した ストーカー・佐々木は暴動騒ぎに乗じてよろず屋に押し入ろうとしたが、真剣を手にし た玄吾は店の前で佐々木を斬った。 暴動は警官隊によって鎮圧された。玄吾の尊敬する田代は死んだが、岡田は騒動の混乱で 狂気が爆発し、味方を斬りまくったのが謀反の翻意とみなされ、無傷で秩父に帰って来た。 田代を死なせながら、自分は裏切って帰ってきた岡田に対して、純粋青年の玄吾は怒りを 覚える。

一方、岡田にもかねてよりの遺恨に加え、弟分の佐々木を殺された恨みがあり、玄吾に真 剣勝負を求める果たし状を送って来る。今年の秩父神社の奉納仕合は騒乱のため中止とな ったが、そこが岡田指定の決戦場所。

神聖な境内を血で汚してはならぬと、場所を神社の裏手に移動し、二人は激しく真剣で切 り結ぶ。 そこに現れたのは高野源三郎。高野は二人の勝負を真剣から木刀に変えさせようとし、 弟子の玄吾はこれを受け入れて木刀に持ち替えたが、岡田は真剣を手放さない。 源三郎もあきらめて、玄吾に「剣術と剣道の違いを教えてやれ!」と、命令して、去る。 観客にとっては謎かけのような意味不明の言葉だが、想像するに技術を追求する岡田の「剣 術」より、精神性を含めてトータルな高みを志向する高野道場の「剣道」が上である、と いうことだろう。

玄吾の木刀対岡田の真剣の勝負は、壮絶を極めた。一瞬の隙も見せられない激しい攻防の 末、玄吾の木刀が岡田の喉を突き、岡田は地に倒れた。 倒れた岡田は、「お前の剣は、美しい。」と完敗を認める。

数日後、玄吾は新天地を求めて、江戸に向かう。(終)




私は一時期、松原智恵子のファンだった。あくまで役柄の上だが、中野良子は「傲慢」、栗 原小巻は「濃い口」、吉永小百合は「薄口」、岩下志麻は「妖艶」、中田喜子は「所帯染み」、 秋吉久美子は「飛び」、という70年代半ばぐらいの芸能勢力地図において、松原智恵子の 「普通さ」を、とても好ましく感じていた。しかし、この映画での松原智恵子のカマトト ぶりは、私の甘い幻想的な追憶をコッパミジンに打ち砕くものだった。ここまでカマトト だったの?ま、時系列的に見れば、人間は経験を経て自分の在り様を獲得していくものだ から、「普通」になる前は「カマトト」だったとしても、許容範囲ではあるが。(ちなみに 「カマトト」とは、カマボコの原料がトト(魚)であることさえ知らないような、世間知 らずのことを言う。最近は慣用句にいちいち解説が必要だ。)

芦田伸介は、両足のつま先が常に180度近く開いている。でも、膝は曲がっていないの で、いわゆるガニ股ではなく、なんかボリショイ・バレエ団みたいだ。高橋英樹に稽古を つける場面では、見た目のスピードでは全然かなわず、危うく負けそうだった。やっぱり 師匠だから勝つんだけどね。

それにしても、殺陣シーンについては、役者も殺陣師もよく頑張ったと思う。とかく形式 的になりがちな剣道がちゃんとチャンバラに見える。東映や大映の陰で、日活もちゃんと した殺陣をつけていたのだ。

ただ照明が変。夜のシーンが昼と変わりない明るさ。夜だというのに空が青い。白い雲が 形を変えながら流れていく。いつから日本に白夜が来たの?

ニュアンスとしては、この映画はいろんな面を持っている。
クライマックスの二人の剣士の対決は、いわゆる「日活アクション」
秩父事件を描いている点では、「歴史ドラマ」
しっかりした殺陣付けは「スタンダード時代劇」

でも、究極的には「青春ドラマ」だと思う。

若々しい世代のキラキラぶりに、こんなにも胸が踊る。
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