題名 :『必殺!三味線屋勇次』

登録日時 :02/11/03 19:35

1999年 松竹 監督:石原興 脚本:野上龍雄 カラー 101分

まず野上龍雄の脚本がメタメタにダメだと思う。思い切りヌルイ安直な仕事で プロとして恥を知るべきだ、ぐらいのことを言いたい。
そもそもの基本コンセプトが大きく外していると思う。 仕事人といえども、人を殺すのは非常に重いことだから、それにふさわしい理由が必要だ。だから依頼者の恨み、何としても晴らしたい無念の思いには、十分な説得力がなければならない。
なのになぜそれがバイアグラなのだあ!? 当時話題になったネタではあるが、鼻毛抜くみたいな安直さに、ヘナヘナと脱力してしまう。
仕事人は裁きを下してはならない。社会悪を退治してもならない。そういうこ とは正義の味方に任せて、依頼者の思いを背負って黙って粛々と仕事を遂行する。それが仕事人のプライドであり美学なのではないか?
この辺は単に私の個人的思い込みにすぎないのかもしれないが、次々と新ネタ をぶっこんではストーリーの軸を揺るがせ、ドラマをブチ壊すこの脚本は 客観的に見ても、だいぶレベルが低い。島抜け兄弟とか花売りのサッチーと か、全然ムダで意味なし。




三味線の修理業を営む勇次(中条きよし)の裏の稼業は仕事人(殺し屋)で、 ある夜、金貸しの烏山検校(火野正平)を女郎屋で始末し、逃げ際を仕事人仲間の化粧師・弥助(阿部寛)にサポートしてもらった。店に帰ると、小唄の師匠(名取裕子)が修理した三味線を受け取りに来ていた。どうやらこの師匠も同業らしいと勇次は思っていて、向こうもカマを掛けて来るが、お互い正体は明かさない不思議な関係。

弥助は仕事で悪徳目明し・岩松を狙ったが、浪人左内(清水健太郎)に横取りされた。左内は相当の腕利きだと弥助は見抜く。

行きつけの居酒屋で女主人のおとよ(天海祐希)から、役人に追われる二人の若い兄弟を匿うよう弥助は頼まれ、おとよに惚れていたのでこれを引き受ける。しかし、岩松殺害の件で目明しの朝吉(本田博太郎)が家までやってきたので、弥助は兄弟を勇次に預ける。勇次は兄弟の一人を三味線屋の見習いに し、一人を小唄の師匠にまた預けた。なんか「たらい回し」という気がする。

おとよの元に若い男がやってきて、お前の父親の上総屋はどこにいると詰問 するが、居合わせた勇次が助けた。上総屋は薬問屋で、男性機能を回復させる薬「回春丸」を開発して世に売り出 したが、この薬には激しい副作用があることがわかったので、自省の念で上総屋は行方をくらまし、娘のお雪は名を変え、市井に身を潜めていたのである。弥助はおとよの身の上も承知で結婚を申し込むが、おとよは自分は悪人の娘ゆえ結婚はできないと言い、それでもときどきかわいがってね、と身を投げ出し二人は結ばれた。

自殺したと思われていた上総屋は生きていて、悪辣な薬問屋・富貴屋(中尾 彬)によって監禁されていた。富貴屋は幕府によって禁制処分となった回春丸を密かに買い集め、闇ルートで金持ちの老人連中相手に売り捌いて、暴利を貪っていた。さらに副作用を起こした老人は自分の息のかかった療養所に運び込んで、心臓病患者として扱い、事態が知れないように工作していた。そのため療養所を管轄する役人・坂巻(石橋蓮司)を抱きこんでいる。(この設定は相当無理があると思う。というか支離滅裂。)しかし買い集めた回春丸が底をついてきたので、その処方を上総屋から聞きだすために監禁しているのだ。

上総屋の行方を父の仇と追っていた例の若者は、療養所に忍びこんで上総屋を 見つけ出したが、警備のやくざに追われる。(なぜ公営療養所の警備をやくざ が行なっているのか?話がおかしいよ。)若者は川に入ってどうにか逃げ切ったが、深手を負って死んでしまった。その死体が回春丸を握り締めていたことから、死体を見つけた弥助は川の上流の療養所を探って、事実の全貌をつかむ。もはやこれまで、と富貴屋は上総屋を殺して、罪をかぶせるニセの遺書を作り、遺体とともに川に流したが、弥助はこれを人目につく前に処分する。そして弥助は恋する女の父の仇、富貴屋を殺そうとし、自身が頼み人となって仕事を仕掛ける算段を勇次に持ち込むが、勇次は協力を断り冷静さを欠いた弥助をなだめる。
納得したフリをして勇次の元を去った弥助は左内を新たな相棒にして、富貴屋に乗り込む。しかし左内の裏切で弥助は捕まり、無残に殺され仕事人としてさらし首になってしまった。

姿を消したおとよを探して勇次は目黒の田舎を訪ねた。両国から目黒に行くのになんであんなに物々しい旅支度が必要なのかは全然わからないが、旅姿の 勇次が花売りのオバさん(野村沙知代)に道を教えてもらい発見したのは、 白装束を着て弥助の仏前で餓死したおとよの姿だった。おとよは仕事の頼み賃として十両を残していた。(とっても不自然な展開。)

勇次はその金で、小唄の師匠と弥助の恩師・伝兵衛(藤田まこと)を雇って仕事を開始する。伝兵衛は元は上方の仕事人の元締めだったのが、今は仕事人を 引退して大道芸で身を立てていて、たまたま江戸に公演で来ていた。関西弁を駆使し 白髪頭になって別人を強調しているが、要するに『主水死す』で死んだことになっている藤田まことを、もう一度引っ張りだすための小細工だ。

療養所と富貴屋邸に潜入した仕事人たちは、それぞれに仕事をする。(終)




脚本のダメさを監督は相当救ったと思うが、それでもだいぶ物足りない。底が浅すぎて中途半端にダルい。同じ「必殺!」シリーズの支離滅裂作品でも『表 か裏か』はシリアス・ドラマに徹していたし、『ブラウン館』はオチャラケに 徹していた。「撤する」って大事なことよ。軸の定まらない映画は本当につまらないものだ。

中条きよしは白塗りが薄いし、睫毛もいつもほど長くないが安定した演技で安心して見ていられる。ついでに主題歌も歌っているが、昔より声がか弱くなって、あんまり出ていない気がする。TV番組「全日本歌謡選手権」でチャンピ オンとなって、「嘘」でデビューした頃の声は、細いながらも力強い凄みがあってなかなかのものだったが。ちなみにその番組では、「目がキョロキョロ しすぎる」と審査員に指摘されていたのだが、それが目線を使う俳優として成功するとは、全く世の中わからないものだ。

三味線の糸で標的を吊り上げる技は「お約束」だが、物理学的には無理があ る。いくら怪力でもあの形で自分の体重より重い物を上げることはできない。 自分の方が吊りあがってしまう。火野正平はともかくも太っ腹の中尾彬は絶対 無理だ。

中尾彬と並んで太っ腹なのが清水健太郎。時代劇で見た記憶はないが、日本刀の扱いは無難。ヤクザ映画で日本刀に慣れ親しんだということか。でも刀を 鞘にしまうところは指を切りそうで、見ていてヒヤリとした。確かにヤクザ映画ではダンビラを抜くシーンはあってもしまうシーンはあんまりないもんな。

阿部寛と天海祐希の長身美形カップルはなかなかお似合い。特に天海祐希はとって もキレイだと思う。

名取裕子,石橋蓮司,研ナオコ,本田博太郎あたりはどうでもよいキャラクター。 どうでもいいのになんでそんなに頑張るの?野村沙知代にいたってはどうでもよいというより、出てほしくないキャラクター。こんなの連れてくんなよ。

ちょっと不思議なのは、主要人物同士で顔を合わせない点。 名取裕子は中条きよし以外と同時に画面に映ることはまったくないし、中条きよしと清水健太郎も一度も顔を合わせない。特に意図的演出という風には感じ られず、単に役者のスケジュール調整に失敗しただけか?
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