題名 :『関の彌太っぺ』

登録日時 :03/08/17 02:03

1963年 監督:山下耕作 原作:長谷川伸 カラー 83分

「このシャバにゃあ、悲しいこと・辛えことがたくさんある。だが、忘れるこった。忘れて日が暮れりゃあ明日になる。ああ、明日も天気か...」 この名セリフ、名調子。




若いつやつや顔をした旅人やくざの彌太郎(中村錦之助)は、10年前の祭りの日に行方知れずになった妹を探して旅をしています。取手の花町にそれらしい遊女がいる、と聞いて今は取手に向かっています。
道中、川の側で女の子が花を摘んでいました。妹を思い出し思わず声をかけた 彌太郎でしたが、物騒な昨今は、こんなことしたら警察を呼ばれてしまいそう ですね。
女の子が川に落ちて流されるのを、彌太郎は川に飛び込んで助けます。近くの 茶店にいた女の子の父親(大坂志郎)は恐縮して、心からお礼を言いますが、 実はこの親父はクセモノで、彌太郎が妹のために貯めていた50両の金を盗んで逃げてしまいました。

もしも妹がかたぎの身でいるなら嫁入りの支度金に、遊女に身を落としていたなら身受け金に、と長年かかって貯めていた金を取り戻さずにはおかない、と彌太郎はひどく憤慨して父娘を追います。
しかし親父は、娘のお小夜に金を持たせて亡妻の実家の旅籠・沢井屋に単身向かわせていま した。ところがやはり親父に金を盗まれて後を追っていた、箱田の森介という旅やくざ (木村功)がお小夜を見つけ、50両を奪ってしまいました。
彌太郎は親父を見つけて、金を返すよう迫りますが、親父は頑として逆 らいます。娘の幸せのために、どうしてもその50両は必要なのです。揉めているところに現れた森介が、いきなり親父を斬り殺して、姿を消しました。虫の息で親父は彌太郎にお小夜を託して、息を引き取りました。

彌太郎は父親を探して戻ってきたお小夜を、沢井屋に連れて行きます。道中、父はどこに行ったのか、と訪ねるお小夜に、彌太郎は遠いところに行った、と 答え、こう言います。
「お小夜ちゃん、このシャバにゃあ、悲しいこと・辛えことがたくさんある。 だが、忘れるこった。忘れて日が暮れりゃあ明日になる。ああ、明日も天気 か...」
お小夜は「きれいな夕焼け」と言って、二人は空を見るのですが、どうみてもあれは「きれいな夕焼け」じゃないですね。東映美術、やや資金不足?

沢井屋は老女将(夏川静江)、息子の店主(武内亨)とその女房(鳳八千代)の三人で経営していました。ちょっと気になるのは、息子夫婦が老女将を面と 向かって「おばあちゃん」と呼ぶのです。こういう呼び方は明治以降だと思う し、今でも子供のいない家では普通しないと思うんですが。
ま、ともあれそこに突然現れた彌太郎が、お小夜を預かってくれと頼むと、人様の子を預かるわけにはいかない、と三人は断りますが、しかし11年前に人攫 いに攫われて行方不明になった店主の姉の面影が、お小夜にあるので、気がかりでもあります。彌太郎はそれなら宿泊料金10年分の50両を前払いで払うか ら、数日待ってくれ、とお小夜を預け、森介を探しに行きます。

お小夜は父が迎えに来るのではないかと、母の教えてくれた歌を唄います。この歌の歌詞が結構、シュール。「なぜ、お地蔵さんは背が低い?それは親の日にトトを食べたから」というような歌詞です。父親と魚を「トト」にかけているんですね。夕食のとき、お小夜の母の名が、行方不明になった一家の長女の名前と一致したので、沢井屋一家はこれは紛れもなく、孫だ、姪だと歓喜しま すが、彌太郎の名を聞いていなかったことを思い出し、あの旅人さんにどうやってお礼をしようか、と悩みます。

一方、彌太郎は別の町で森介を見つけます。森介はあっさりと50両を返した 上、兄弟分になろうと言い出して、彌太郎を「アニィ」と呼ぶようになりまし た。彌太郎はひっそりと沢井屋の窓から、45両を預け、姿を消します。(5両は 森介にあげたのでした。)

そして彌太郎は取手の花町に着きますが、女郎仲間(岩崎加根子)が言うことには、妹は1年前に胸を病んで亡くなってしまった、ということでした。なんか ここの演出は、とても変だと思います。この女郎仲間が突然豹変するように見 えるんですよね。えらく不自然です。 ともあれ、彌太郎は妹の墓前で泣き、飲み屋で泣きながら、酒をあおるように 飲みます。

彌太郎が人生の目標と希望を失い、失意のどん底に堕ちてから10年が経ちました。

やさぐれて荒んだ彌太郎は、今ではやくざの出入りのとき相手を一人斬って一両をもらう、助っ人専門の旅ヤクザに成り果てていました。なにより人相がすっかり変わり、刀傷を青ざめた顔に持ち、アイ・シャドウを塗っていて、「オノレは子連れ狼かい!」という、凄みのある形相です。今は飯岡の助五郎(安部徹)の一家に草鞋を脱いでいました。この一家には、 沢村宗之助や砂塚秀夫の顔も見えます。

助五郎一家と笹川の繁蔵一家の出入りに助っ人として参加した彌太郎は、相手の中に弟分の森介と恩のある老ヤクザ、田毎の才兵衛(月形龍之介)の姿を見つけ、助五郎にその場で金を返して寝返ってしまいました。このため裏切り者 として、助五郎一家に執拗に狙われることになります。しかし月形龍之介のヤ クザ姿は似合いませんなあ。
出入りの後、才兵衛は彌太郎と森介に、沢井屋が孫娘の恩人の旅人(たびに ん)を探している、という話をします。預かった45両をお返しして、是非お礼 を申し上げたい、と沢井屋の老女将が懇意の才兵衛に探索を頼んだのでした。もちろん彌太郎は、自分はその旅人ではない、と否定します。

しかし、森介が恩人を名乗って沢井屋を訪れます。45両の金目当てだったのですが、一目見たお小夜(十朱幸代)に狂ってしまいます。最初こそお小夜の恩人と森介を歓待していた沢井屋の人々ですが、お小夜を女房にくれと森介が言 い出したので、困惑します。
ちょっと待ってよ、と思うのは、お小夜を預けに来たときにみんな彌太郎の顔 を見ているわけですよ。森介の顔を見たら別人だとすぐにわかりそうなものですが、みんな簡単に森介を信じてしまうのです。
なお、成人したお小夜も例の「お地蔵さんの歌」を歌いますが、音大出の歌のお姉さんが歌っているような本格的なソプラノで、これは吹き替えだと思います。

数日のうちに森介は、お小夜恋しさでおかしくなってしまいます。「ドスを捨ててカタギになるから、お小夜をくれ」と土下座して頼んだかと思うと、「こんなに頼んでもダメかい!」と逆ギレして刀を手にすごんで脅したりします。これではお小夜が危険だと、家族は納屋にお小夜を匿いましたが、暴走野郎の森介はお小夜を探し当て、止めよ うとした使用人の老人(遠藤辰雄)を斬り殺してしまいます。
そこに沢井屋の噂を聞いた彌太郎が、姿を現しました。 彌太郎は森介を店の外に連れ出すと、10年前お小夜を連れてきたのは自分であること、お小夜の父親を殺したのは森介であることを明かし、沢井屋を出て行 くように頼みますが、森介は「ドロボウの娘ならヤクザの女房にピッタリ」と か訳のわからないことを言い出して、あきらめる様子が全然なく、恋路の邪魔をするやつはアニィでも容赦しねえ、と刀を抜きます。 已む無く彌太郎は森介を斬りました。

取り返した45両を返しに彌太郎が再び沢井屋に立ち寄ると、その立ち振る舞いに、もしやこの人があのときの旅人さんではあるまいか、とみんなちょっと思 うんですが、やはり人相が変わり果てた彌太郎を見抜くことができませんでした。そのまま立ち去ろうとした彌太郎はしかし、美しく成長したお小夜をまぶ しく見つめ、思わずこう言ってしまいます。
「お小夜さん、このシャバにゃあ、悲しいこと・辛えことがたくさんある。だ が、忘れるこった。忘れて日が暮れりゃあ明日になる。ああ、明日も天気 か...」
このセリフに、お小夜の記憶が蘇ります。あの人だ!しかし駆け寄ろうとするお小夜と 彌太郎の間には、二人の住む世界を分けるかのようにムクゲの生垣があります。生垣がジャマをしてお小夜は近寄ることができません。その間に彌太郎は姿を消してしまいます。

寺の鐘が、暮れ六つの時を告げています。彌太郎は助五郎一家との対決場所に 向かって、歩を進めるのでした。(完)




良い作品ですが、脚本・演出には少し弱いところがあると思います。 例えば森介が暴走野郎になってしまうところなんか、唐突な気がするんですよねえ。それまでの森介の人間性があまり描かれていないし、初めてお小夜を見 て、ドキッとする表情の変化もない。それにはっきり言って、お小夜がそんなにきれいに映ってないんです。山下監督って任侠映画一筋の人というイメージ がありますが、こういうところはこなれていない、と思います。

しかし、クライマックスのムクゲの使い方は素晴らしいです。花を使わせたら日本一なんだなあ。

映像は全体に平板で奥行きに欠ける印象を受けます。理由の一つはライティン グのやりかたが、ベタに影を消すように光を当てるからだと思います。大映の照明はむしろ意図的に影を作ることで、光と影のコントラストを強調して立体的な映像を作っていました。 でもまあ、これが東映京都の伝統的な画作りであるわけで、好きな人には「ああ、東映だなあ」という安心感はあると思います。

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