題名 :『沓掛時次郎 遊侠一匹』

登録日時 :00/12/31 23:32

長谷川伸の原作による『沓掛時次郎』は、何度も映画化されてますが、今回私が観たのは、錦之助主演、加藤泰監督による東映1966年版。時代劇ファン の間では大変評価の高い作品であると、聞き及びます。




冒頭いきなり「手前、生国は…」としゃべくる男の声がします。おや、この聞 き覚えのある声は、もしや?カメラが近寄ると、ああ、やっぱり渥美清だあ!

私は渥美清が大嫌いなのです。彼が国民栄誉賞に決まったとき、日本を亡命す るか、クーデターを起こして受賞を阻止しようか、と思ったぐらい。(←冗談 ですよ。念のため。)

どうも様子では、時次郎(中村錦之助)は旅の途中で、朝吉(渥美清)と意気投合し、いっしょに旅をしているらしい。

二人が草鞋を脱いだ一家で、よその組ともめごとが発生。時次郎は関わりにな らないよう、出ていこうとしますが、人がよくて「算盤が弾けない」朝吉は助 太刀を請け負い、結局「鉄砲玉」の役割を与えられて、一人で殴り込みをかけて惨死。遅れ馳せに駆けつけた時次郎は仇を討ちますが、それでも気は晴れません。結局、俺達「流れ者」って、こういう立場なのね、都合よく利用されて見殺しにされるだけなのね、と己のポジションを噛み締めつつ、暗鬱 と朝吉の位牌を川に流すのでした。

ここまではプロローグ。これからが本編。もう渥美清が出てきそうにないので、私はホッとするのでした。(しかし私の嫌いなもう一人=阿部九州男 が登場する。)

旅の途中で、時次郎は子連れの女(池内淳子)と一緒になり、親しくなります。しかし、一宿一飯の義理のため、何のうらみもない女の夫、三蔵(東千代之介)を斬るはめになります。三蔵はいまわの際に自分を斬った時次郎を侠客と見込んで、妻子を親類に届けてくれるように頼んで、こと切れます。

ただし、三蔵にとどめを刺そうとした鴻巣一家の者の片腕を切り落 としてしまったので、時次郎は一家に追われることになります。

こうして、時次郎とおきぬ(池内淳子)、息子の太郎吉(中村信二郎)の旅が 始まります。三蔵の親戚はもう死んでいたので、時次郎は自分の故郷、沓掛ま で母子を連れていこうとするのですが、途中でおきぬが胸を病み、来年の春ま で動けない。

そういうわけで、いったん定住し、春までの三人の共同生活が始まるのですが、 ここで問題になるのが、次第に芽生えていく時次郎とおきぬの恋愛感情。心な らずも殺害した三蔵の頼みで引き受けたつもりが、高鳴るいとおしさが抑えき れなくなってきた時次郎。夫の仇と知りながら逃れようもなく時次郎に惹かれ ていくおきぬ。

両者は激しく苦悩します。この苦悩をどう絶ち切るか?急激に映画はメロドラ マになっていきます。

時次郎の絶ち切り方は、私にも理解できるもの。三蔵の遺品の櫛の半片をおきぬに渡します。何も言いませんが、「あんたは三蔵さんのおかみさんだ。そういうことでカタをつけてくれ。」という、メッセージ。いや、おき ぬに対するメッセージというより、自分に対するケジメ。そして鴻巣一家の 追っ手の前に自ら出向き、半殺しの目にあいます。

一方のおきぬの絶ち切り方は、私には理解できないもの。春に なっておきぬが動けるまで回復した頃、旅用の草鞋を三人分購入した時次郎が帰ると、おきぬは太郎吉を連れて、すでに姿を消していました。残っていたのは、あの「櫛」のみ。後のおきぬの解説によると、「あの櫛は、わたくしの 心」。心は時次郎の元へ残しながら、抜け殻となった体は時次郎を離れます、 という意味でしょうか?

1年後、高崎に滞在する時次郎。頭では絶ち切ったつもりでも、心ではやはりお きぬが忘れられないのでした。ひょっとしておきぬが沓掛に足を運ぶかもしれ ない、中山道を通るかもしれない、とこの地にずっといるのです。こうなるともうス トーカーですが、ストーキング恐るべし!ついにおきぬと太郎吉が現れたので した。

こうして再会を果たしたものの、おきぬの病気は悪化。おきぬの薬を買うお金を稼ぐため、地元のヤクザの出入りに参加した時次郎が金を持って帰ると、すでにおきぬ は帰らぬ人となっていました。

太郎吉を連れて沓掛に向かう時次郎の前に現れたのは、三蔵の親戚のヘナチョ コな若者。この若者は惨めな百姓暮らしに耐えきれず、時次郎を討ってヤクザとして名を上げたい、という野望を抱いているのですが、時次郎はこれを一蹴 して川に投げ込み、ついでに自分の刀も川に投げ込むのでした。おそらくは故 郷に帰って、カタギになるのでしょう。(終)




これは完璧な恋愛ドラマ。チャンバラ・シーンでの流血は、過剰ですが、それは当時の流行りであって、本質はまぎれもなくメロドラマ。好きな人に「好 き」って言えないつらさと葛藤が、この映画の核です。

でも残念ながら奥ゆかしいと感じるよりも、これを「バッカじゃねーの」 と否定するのが、現代の風潮。でもね、やっぱり人は犬や猫じゃないんだから、 我慢しなきゃいけな いときがあると思うな。そういう「矜持」の美しさ、「美学」に、そういう生き方が現実に自分ができるかどうかは別にして、私は正直感動しました。

池内淳子は、私と誕生日が同じ、という理由だけでファンなのですが、この映画での演技はとても素晴らしいと思います。理知的でキリっとしてるけど、 「カタい」感じだからこそ、この恋の切なさが説得力を持つ。とくに終盤、死の床で、「時次郎さんが帰ってきたらきれいな顔を見せたいから。」と紅をさ すシーンでは、泣いてしまいました。ただ三味線はひどく調子外れだったなあ。

三味線といえば、今年公開の「長崎ぶらぶら節」がどこか加藤泰を思わせたのは、この作品が記憶にあったからだと思います。

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